沖縄サバイバルラン

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沖縄サバイバルラン の結果ご報告です。


文具の話や文具業界のビジネスの話ではなくて申し訳ありません。


さて、結果ですが、

残念ながら途中リタイア申告にて終了しました。




沖縄本島1周390キロを72時間(3日間)で回る
沖縄サバイバルランに参加してきました。

今回はその途中の236キロほどの地点でリタイアした話です。



11/24(金)12:00
那覇にある沖縄国際ユースホステル スタート

11/27(月)12:00が制限の72時間以内
スタートと同じ地点がゴール

という大会でした。




今までは沖縄本島を時計回りで開催されていた本大会が
反時計回りでの通称「沖サバ」に対して「逆サバ」

今回のスタートしなかった方を除くと参加者は73名。


1月に開催された
沖縄のメインストリートである国道58号線を
那覇から本島最北端の辺戸岬を超え、
58号線の沖縄での起点(本当の起点は鹿児島県)を折り返して
オクマリゾートというところへ戻る
58ラン(ごっぱちラン)という前哨戦の大会に出ました。

そもそも58ランは、沖サバの去年の大会に参加していた
女性で初めての青森~下関~青森のフットレース完走者のかたが
参加していた情報をFacebookにあげておられたことで知りました。

58ランの参加資格が「100キロ以上のウルトラマラソン完走者」
でしたので、自分も参加できる!と思ってエントリーしました。

58ランは27時間制限なのですが、
1月に参加して走ってる最中に

「これを24時間以内にゴールしたら沖サバのシード権があるよ」

と言われて、なんとか23時間51分でゴールしたことで、
5月にエントリーをしたのがきっかけでした。


今回のレースも昼にスタートということで、
金曜日の当日は
朝10時前に那覇空港に到着する飛行機で羽田から向かいました。


そのため朝は4時起き。

前日の仕事の関係でとはいえ、後々これが影響もしていた
と思うと反省でしかありませんが、仕方がありません。


スタートとなる会場は、那覇空港からモノレールのゆいレールで
数駅の壺川という駅から近い県の運動公園の中にあります。



10時受付開始なので、少し遅れて到着してからの受付。

受付で反射テープが貼り付けてあるゼッケン、
オリジナルのゼッケンクリップ、
モンベルのヘッドライト(の小さいの)

別のを持って行っていたのでいただいたこちらは
預けた荷物にインしておきました。


ほぼ常連さんという感じで関係者も含めて
90名くらいの人数が集まり、開会式のスタート。

最高齢は73歳の方。(でもゼッケンNOは72)

スタートはグループによる
2分おきのウェーブスタート。

順番は、前回脱落?が早かった方から、
去年の大会の実績に応じての4グループ。

私はというと、
なぜか第一ウェーブではなく、
第4ウェーブ。

今年の58ランを24時間以内にクリアしたからなのかもしれませんが、
そこはハッキリと分かりません。


12時スタートから遅れること12時6分スタート。

そういえばスタート会場のすぐ横のスタジアムが
どうやら今度の那覇マラソンのメイン会場のようで、
すでに周辺の規制看板などで盛り上がり始めていました。


まずは、那覇空港方面へ向かいます。

空港でレンタカーを借りたことがある方は
マイクロバスでレンタカー会社に連れていかれるのですが、
そのレンタカー会社が集まっていて、
最近道路の高架工事が激しく行われているエリア。

この辺りは信号も長く、
待たされる状況が続きますので、
キロ6分とかで走っても、AVE .8分台とか・・・

だんだんと大きな構造物も少なくなってきて、
琉球ガラス館やひめゆりの塔のあたりにくると
ようやく信号が少なくなり、足止めの煩わしさから解放されます。


今回のレース、いくつか関門が設定されていて
全部でCP(チェックポイント)1~6まで。

これらをどのタイミングでどこまで足を進め、
休憩をするかがポイントとなります。

自分は経験値がなく、
今回のレースの直前に、以前の58ランで繋がった方の
Facebookなどでなんとなくの流れを知りましたが、
本島最北端の辺戸岬のCP4 関門時間34のポイントまでは寝ない。
というので驚きでした。

沖サバ、今回の逆サバが初めてなので、
沖縄県の白地図に各チェックポイントとそれらの制限時間、
CP間の距離や消費可能時間をメモしました。

上述の方とFacebookで繋がっており、
まさかその方経由で、過半数の方がコピーを持っておられたのには
驚きました。
まるで学生の時の自分のノートのコピーがクラス中に広がっていた時のような感覚でした。



CP1は那覇から反時計回りの海岸より少しだけ内側をたどって、
沖縄県の皆さんにとってのとても大切な場所でもある
斎場御嶽の先にある南城市というところの大きめの公園。

ここの関門時間と距離が49.5キロで金曜日18:30
(所用時間6時間30分)

フルマラソンで考えると余裕の所用時間に思えますが、
上述の通り、街中での信号などの足止めにより、
結構ギリギリになり、ここでの貯金タイムが50分。

予想より少なかったです。

チェックポイントでは、
腕につけたセンサーをかざして結構大きめの音が鳴る
ボックスが設置されていて、
到着したらまずは足跡を残します。



そのあと、そこで飲み物や温かい食べ物、フルーツなどを
ご用意いただいているので、それをいただいたり、
その先が暗くなり、
昼の気温が23度だった沖縄とはいえ、
この後の海中道路の橋の上の強風に備えて
対策もとります。


ここで、
今回の装備ですが、
まずはリュック。

こちらはモンベルの7リットルの軽量タイプのもの。
ここに、
自分の場合は水がすごくいつも心配なので、
1.5リットルのウォーターパックを背中に入れます。

・雨が降った場合の備えとして、100均のポンチョ。
(1月の時はGore-Texを入れてましたが重くてかさばるので今回はやめ)
・万が一の際にと思って、防寒用のアルミシート(これがのちに大活躍します)念の為2枚
・手袋(結果的に使用しませんでした)
・メガネと交換用のコンタクトレンズ(基本コンタクトですが、仮眠等により着装不能となった場合の備えとしてメガネも)
・ジェル5本ほど(前半はコンビニがたくさんあるので補給品はコンビニ調達ですが、北部エリアは昼間しかやっていない(昼間もやってるか不明でしたが)共同売店しかないので保険として)
・アミノバイタル(これは軽いので結構多めの20本くらい←結果10本くらい使用)
・塩熱サプリ(1袋)
・受付の時にもらった黒糖(寿司屋の持ち帰り用の醤油の入れ物、3パック)
・寒かったり身体が濡れたら拭く用の以前の板橋マラソンの時にもらって愛用しているマフラータオル
・ユニクロの薄手のウインドブレーカー(これも仮眠の時に役に立ちました)
・寝不足や身体の痛みが発生した時に服用するロキソニン
・夜間には欠かせないモンベルのヘッドライト(ケチらずに、もっと明るいものにすればよかった)
・ヘッドライトを補完するための懐中電灯(コンタクト装着に便利な2Wayタイプ)
・100均で買ったたすき掛けの反射材
・服やリュックなどでの擦れを軽減させるためのワセリン(息子が薬局で無料でもらったものを小さなケースに入れて)
・リップクリーム(不要と思ったのですが、意外と活躍)
・財布(カードやQR決済が使えない時用)
・保険証(何か会った時のため)
・Appleタグ(GARMINのLiveView)がスマホがオンラインになってないと補足しないことが多いので、その保険として
・スマホのモバイルバッテリー
・一応wi-fi(スマホが月末で無制限でないためのギガ不足のため)
・電池式の充電器

羅列するとよくもこれらが7リットルのリュックに入ったな・・・



そして、服装は
・大阪マラソンでもらった(買った)キャップ
・サングラス(昼)
・マラソン大会などでよくもらうようなメッシュ素材の半袖Tシャツ
・短パン
・短パンの下はアンダーアーマーのボクサーパンツ
・アームカバー(これは夜間つけました)
・ゼッケンベルト(背中用はリュックにピン留め)
・靴下(交換用もリュックに。←これがあって助かった)
・シューズ(アシックス エボライドスピード)
という感じです。

Man3Dals(マンサンダル)は置いていきました。
足の気分?を変えるためにあってもいいかと思いましたが、
それまでに履いていたシューズをどうする問題があるのでやめました。
ただ、リカバリー的に使うかもということで預ける荷物には持参してました。

ちなみに沖縄への移動に使ったシューズはトライアスロン用(着脱しやすい)のアシックスのヌーサ

気温が暑くもなく、寒くもないのが本当に助かりました。


話を戻すと

次のチェックポイントは海中道路というのが南東部にありまして、
そちらの橋の中腹に設置。
ただ、往路と復路が分離帯で分けられているので、
短縮したズルはできません。

橋を渡りきって、折り返し。
ここのコンビニでも私設エイドが展開されていて、
選手の家族や、以前出られた方、地元の方などが
エイドを展開されています。

本当に助かります。

予報されていた橋の上の強風に煽られて
帽子を飛ばされそうになりながらなんとか渡りきってCP2通過。

ここでは関門時間は日付が変わった土曜日の午前2時。
CP1からの距離は43キロなので、
所用時間が7時間30分あり、この間は助かり、
貯金も1時間半ほどに増えました。

この海中道路に向かう半島が暗闇の中、
ずっとまっすぐで辛かったですが、
後のルートのそれに比べると比でなかったくらいましでした。


次のCP3を目指すのですが、
ここも辛かったです。

何が辛かったって、どこを切り取っても辛かったのですが、
CP3は名護市の東がわにある、東村という村で、
関門時間は土曜日の12時30分

CP2からCP3までの距離と所要時間は
74キロ 10時間30分

通常ですと明るい中長距離で70キロともなると
まあできない距離ではないな。
という感じですが、
時間帯は夜中。

そうはうまく行きません。

そして、2年前に家族旅行をレンタカーで
うろうろしていた場所なので、
知っている地名との距離感がどうしても車の感覚になってしまっていて、
さらには、上述のGARMINウォッチのの距離が
スマホのバッテリー温存のため、オフにしていたのが原因なのか、
LiveViewの接続に失敗していたからなのか、
距離がちょっとズレていたのもあり、
残りの距離の計算ができないまま、
道の分岐にも気を使いながらと、
色々と気にしなければいけないままの道中となりました。

なので、CP3には
場所が「サンライズひがし」というくらいなので、
日の出の後くらいに到着できるかなとか
甘いことを考えていたのですが、
いざ、蓋をあけると関門時間の9分前でした。

ここで貯金を一気に使い切った感じです。

さらには、水の飲みすぎなのか、
エイドの何かが合わなかったのか、
激しい腹痛に見舞われ、
CP3の直前にトイレに駆け込んでいたら間に合わないところでした。
ここで少し仮眠をと思ったのですが、
ここまで24時間(起床してから32時間)休憩していないにも関わらず
体を伸ばすくらいで、仮眠せず進むことにしました。

理由は、行けると思ったのと、
上述の通り、仮眠するならCP4でというアドバイスに
乗っかってみようかと思ったからです。


CP3の次のCP4までが今回色々な意味での最大の盛り上がり区間です。

ちなみにこのCP3からCP4は前後は集落が点在するものの、
途中は完全にずっと山中です。
集落にはコンビニはもちろんなく、
共同売店も明るい時間帯しかやっていません。

この中を9時間半の制限時間を使って走行するので、
色々と覚悟が必要でした。

何かあって休憩・仮眠するとしても
待合のあるバス停のような風防になるような建物もないですし
そもそも道端で寝るとかなり少ないとはいえ車に轢かれる、
そうでなくても、ハブがやってくる危険もあります。

何匹か、頭が三角の車に轢かれたへびを見かけました。
きっとあれはハブだったと思います。


CP4は沖縄本島最北端の辺戸岬(へどみさき)の駐車場で、
関門時間は土曜日の22時

ここまでがスタートして34時間となります。


辺戸岬は岬とついていることもあり
崖の上にありますが、そこへ行くためには
かなりのアップダウンが繰り返される山道を走らなければなりません。

1月の58ランの時は夜中の2時くらいにそこを走って、
フラフラに意識が飛んでしまってました。

今回はそこまでではなかったのでよかったです。


恩納村に住んでいる知り合い家族がCP4に向かう直前の暗くなる前に
妻がシェアを手伝ってくれていたGARMINのGPSをたどって
応援に来てくれました。

エナジードリンクやおにぎりをもらえたので、
この区間で非常に空腹になっていたため
本当に助かりました。

ちなみにですが、街中ではコンビニに寄って塩むすびなどを補給で買って食べてました。
今回のレースの常連さんには「固形物は無理」としてコンビニには寄らない作戦で
という方もおられました。


応援に来てくれた本人やご家族と2キロほど並走してもらったり
たまたま空いていた共同売店のところで少し立ち話ができて
身も気分も復活してその先に進む元気が少し復活しました。

ですが、待ち構えていたのは
CP4の手前で待ち構えていた収容バス。

私の後ろにまだ何人か走られていて、
その先このままでは無理そうというランナーを収容するためです。

私はその時点では幸いまだ射程距離にあったのですが、
「この先残り30キロをキロ8分平均で行かないと(CP4で脱落)!!!」

と言われ、改めてその時の体力と残り距離、
さらには何度も繰り返される上り下りと左右に容赦なく振ってくる山道
を考えると、平均のキロ8分は容易ではないことは
火を見るより明らかなことでした。

下りでキロ5分台で稼ぎ、
上りでキロ8分台で消費する。

の繰り返しで、
その状態がCP4までが永遠に続くのではと感じるほどでした。

ここでまたGARMINの走行距離とCP4の224.5キロという地点の距離とのギャップがあり、
自分の判断で誤差がどれくらい生じているから、残りの距離は2キロくらいだろう

というような誤った認識がこの後の出来事に輪をかけたように襲い掛かります。


それは、
ここから上りがほとんどという地点で
先ほどの収容バスが先回りして待っている地点で声がけされた内容。

「ここから辺戸岬まで8キロだから、このまま(頑張り続ければ)間に合います!!」

という一言。


これには愕然としました。


あと2~3キロと思っていた残りの距離。

しかも、重要なのが残り時間。

70分を切っていたように記憶しています。

GARMINがここまでの所要時間を
「33時間51分●秒」となっていたからです。

しかも、その直後にふと見た道路標識には「↑辺戸岬 10Km」

となっていました。

最悪なほどに愕然としました。。。。

下りキロ5分台。上り8分後半。
という作戦がもうこの先通用しません。


しかも、先ほど応援に来てくれた知り合いにも
この先のCP4に間に合わす決意を表明したのと、
そもそも、一緒に並走してくれたのに、
それが原因で数分間に合わなかった
と思わせてしまう事だけはしてはいけない。

そう考え、その場所から、
上り6分台作戦の強行です。


右へ左へカーブが続き、
なかなか「辺戸岬 駐車場→」の案内が見えてきません。


まだいける。

もうだめだ・・・

いや、行かねば・・・

やっぱダメだ・・・

これが何度も頭の中で交錯します。


そんな中、
CP3からCP4の間にほぼ誰とも会わず走っているときに
上りでの温存のために足を止めて歩きになったりしていたのに、
足を止めることをなんとしてでも阻止し、
6分台いや、5分台で最後の力を振り絞って
ようやく、
「辺戸岬 駐車場→」が目に入りました。

ですが、1月に走った経験上、
ここからも少し距離があったことを記憶していたので、
まだ緩めるわけにいかず、
最後の最後まで時間との分単位の戦いでした。


CP4に滑り込みでチェックインした後、
かなりの空腹だったので、チキンラーメン、パンなどをいただきました。

その後、CPに戻ってた収容マイクロバスは収容ランナーを乗せたまま、
CP4を通過した選手のリタイア申請があれば収容するためにスタンバイしてプレッシャーをかけて来ます。。。

その時点で相当足に来ていて、
まぁまぁな感じで無理だったのですが、
ここまで仮眠もしてなかったので、
もしかしたら仮眠により回復するかもという淡い期待を寄せて、
頭をよぎったリタイアの文字は打ち消すことにしました。

暗がりの駐車場の奥に自動販売機が並んでいて
そのあかりでかろうじて照らされている人影。

そこがCP4のボックスの設置場所で、
ICタグをタッチした時の時間が
33時間57分でした。

実際はスタートの時のウェーブの6分間が減算され、
34時間の制限時間のところ、
33時間51分で通過となりました。

このCPでの最終の滑り込みのため、まだ後ろにいた3名ほどはバスに収容されていて、
辺戸岬の駐車場の一角にある(昼間は簡易売店のベンチエリア)は、
先に到着していた選手の皆さんが仮眠スペースになっていました。

仮眠が終わられた方と交代する形で
ベンチの幅が20センチあるかないかのイスに
(足が痛いため)うめき声を堪えながら
横になります。

主催の方から
「我々は撤収して次のポイントへ向かいますがどうされますか?」の問いが
ギブアップする?と悪魔の囁きに聞こえましたが、
「もう少し先に行っみたいと思います。ダメなら収容されても良いと思います」
みたいな返事をして撤収されたので
ヘッドライトの明かりすらその場所から消えました。

聞こえてくるのはその食堂の風除けにあたる風が、激しくバタバタと揺らす音のみ。


とにかくその場での退路を絶った形となりました。

文字通り後に引けなくなりました。


スマホの充電を確認して2時間のアラームをセット。

ですがなかなかの不安定な体勢での仮眠ということもあり、1時間半で自発的に起きました。

もちろん足の回復はしておらず、
シューズを履くのも辛い中、前に進むしかありません。

辺戸岬から国道58号線沿いに下るだけなので、楽かと思いきや、それはそれで辛いものがあり、なんとか波音が聞こえてくるところまで下りて来ることはできました。

街灯ひとつない暗闇のところに、
横からの風と波の音が耳を叩くシーンは
結構恐怖があります。

CP4から下りてきて、なんとか7キロほど騙し騙し進みました。

しかし、次に襲って来たのは空腹。

水はCP4で追加して背負っていたのですが、食料をもう少し分けてもらっておけばよかったと、ここで気づいても万事休す。

スマホでその先のコンビニを検索するも

「14キロ先」

と非情な答えが返って来ます。

それでもなんとかして前に進まなければなりません。

周りは誰もいません。
あかりすらついていません。

通る車もほぼなし。

まさにサバイバル・・・

自己最長が1月の58ランだったので、
ここまでの距離、236キロは立派に胸を張っていいと自分に言い聞かせ、
勇気を持ってリタイアすることにしました。

今までマラソンを始めて2回目のリタイア。
1回目は2年半前。
葛飾の荒川沿いで行われた80キロのウルトラマラソン。

上の子が生まれて3、4ヶ月くらいの時で
春とはいえ夕方寒くなってくる状況で
駆けつけてくれた妻子。

そのまま周回を繰り返してもゴールは多分難しく、
距離を伸ばしても良かったけど、
待たせて寒くなると大変だったので、
キリよく?60キロで。

今回は、誰も待ってないし
でも身に危険があってもいけない。

勇気を持ってリタイアすることにしました。

とはいえそこは沖縄本島の先っちょ・・・

まずは身の安全の確保。

たまたま集落のエリアに差し掛かった時、
国道沿いに地区の公民館があり、
屋根つきで辺戸岬よりは幅の広いベンチ。

そこで朝までとりあえず仮眠することにしました。

屋根があるとはいえ風は打ち付けるので、
走るには良い気温だとはいえ、
風が休む体には影響が出るのでどうしようかと思ったときに、
ウインドウブレーカーとアルミシートが本当に役に立ちました。


主催の方にメッセージで
まずは朝まで様子を見るのと、
その後どうすれば良いかを連絡し、
村営のバス→名護→那覇
で自力で戻るようにとご連絡をいただきました。


その後ですが、
同じ国頭村(くにがみそん)で千葉から移住されて
「OKINAWA KAKAO」を立ち上げておられる方と知り合いで、
実は辺戸岬で仮眠していたときにわざわざ応援しに来られたのですが、
気づけずに朝を迎えてしまい、
野宿していたところに迎えに来ていただき、
温かい飲み物と、カカオのお菓子を持ってきてくださいました。
アルミシートにくるまっていたとはいえ、
海風を受けていた冷えた心身が芯から温まりました。

詳しくは今度沖縄に行くよという方に詳しくお伝えしようかと思いますが、
野宿したのと違う集落の中に移転されたお店に伺って
すぐそばのカカオを育てられているハウスも見せていただきました。


お礼をしたあと名護へ行き、
CP5の瀬底から戻ってくるランナーを何人か応援してから
那覇へ戻るスタッフの方の車に収容されて戻りました。

自分の中では、
初挑戦で半分以上走れたから大満足せねば

という気持ちと、

まだその先まで走り続けておられる方がいて、
しかも強制収容されたわけでなく、
自ら途中で諦めてしまったという気持ちが入り混じってます。。。

リタイア宣言した時は身も心も極限だったので、「勇気ある決断」と思ってましたが、

一晩寝て、もちろん足は全く動かずですが、安全が確保された安心感で気持ちは
リタイアした後悔の念みたいな方が今は大きいです。



ですが、
両方をバネにしてこれからも色々なことにチャレンジしていく事と、

さらには、
沢山の方に応援していただき、
また、少なからず挑戦を目にしてくださった方が少しでも感動してくださった事こそが、

今回挑戦した意味のあったことなのではないかなと思います。


CP4からのスタートが自分が最後と明確にわかっていて、
後ろから誰も来ない。
そして、前もずっと先に行ってしまっていて追いつけない

そう思ったとき、
誰かと励ましあいながら走ることの重要さを痛烈に感じました。

なので、経営も同じで
天狗になっていたり、周りが見えていないのではダメだな。
誰かが一緒になって走ってくれる(しかも一緒に努力してくれる)
という相手が必要だなと改めて感じました。

今、またチャレンジしたいかと聞かれると

「たぶん、YES」と答えると思います。

だって、今回できなかった「完走」を目指してたんですもん。

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